尾県郷土資料館

周辺情報

九鬼山近くにある「尾県郷土資料館」は地元の人に愛される資料館です。

明治時代に建てられ、今は廃校となった小学校がそのまま利用されています。

4.0
近くに来たら立ち寄ってみてください。とても時間がゆっくりと流れています。

尾県郷土資料館について

尾形郷土資料館の外観

明治10年(1877年)、藤村式建築と呼ばれる和洋折衷の工法で建てられた尾県学校が資料館として利用されています。

建物は都留市と山梨県から有形文化財に指定されています。館内には明治時代の教員室、教室、裁縫室が復元されており、明治~昭和までの教育や民俗に関する貴重な資料が約2,000点も展示されているのが特徴です。

尾県郷土資料館の雰囲気

和洋折衷の建物が特徴的

尾形郷土資料館の外観

尾県郷土資料館は他では見られないような独特の様式で建てられています。日本の伝統的工法でありながら、西洋建築を模した藤村式と呼ばれる様式です。

大きな特徴としては2階にバルコニーがあり、その上には塔屋という教会のように尖がった部分があります。明治に建てられた建物にしては随分とハイカラで、現代でも個性際立つ造りになっています。

尾形郷土資料館の内観

外観は洋風ですが、内観は木の香りがする純和風な造りです。

こうした藤村式は他に30件ありましたが、現存しているのは尾県郷土資料館を含め5つのみ。建物自体も貴重な資料となっており、建築学科の学生が見に来ることもあるようです。

ドラマなどのロケ地になっている

尾形郷土資料館の内観

明治から昭和の雰囲気が色濃く残っていることもあり、ドラマなどのロケ地とされることもあります。

例えば「古畑任三郎」やNHKの「その時、歴史が動いた」などのロケ地として使用されました。

他にも「合言葉は勇気」というドラマのロケ地にも選ばれ、出演していた寺尾聰さんのファンが写真を撮りにやって来たこともあるようです。

文化庁の「全国ロケーションデータベース」に掲載されていることもあり、「ロケ地として使わせて欲しい」という問い合わせや、実際にスタッフが下見に来たりすることはちょこちょこあるのだとか。

たまたまロケ現場に居合わせることもあるかもしれません。

根津ピアノでのコンサートが行われている

尾形郷土資料館のピアノ

尾県郷土資料館では毎年10月の最終週末に資料館祭りが開催されており、その際の目玉イベントとして根津ピアノでのコンサートが行われています。

根津ピアノとは…昭和5年(1930年)に山梨県出身の事業家である根津嘉一郎によって県内の小学校に寄贈されたのが「根津ピアノ」。根津嘉一郎は東武鉄道や南海鉄道など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わった人物で、現在の東武鉄道の初代社長でもある。

根津ピアノは鍵盤が象牙で作られた豪華な作りで、実際に演奏できる状態で残されているのは貴重です。

なんでもたまたま来館した調律師の方が調律するまでは、物置でひっそりと30年以上も眠っていたのだそう。

現在ではその調律師の方の息子でホルン奏者の斎藤嵩之さんを中心に、計4回コンサートが開かれています。(今年2020年度はコロナ禍の影響で中止)

毎年100人ほどがコンサートに集まるため、これからも資料館祭りの目玉イベントとして開催を予定しているそうです。

明治・昭和の教育の歴史がわかる資料が多数

当時の資料

冒頭でも述べたように明治から昭和までの教育や民俗に関する貴重な資料が約2,000点も収蔵されています。

当時の教科書がそのまま残されており、なかには戦後墨塗りにされたものもありました。

教科書がそのまま残されているため、当時の子供たちがどのような教育を受けていたのかが伺えます。しかし、特に漢字は旧字など昔と今とでは大きく異なるものも多く、現代人には読むのもひと苦労かもしれません。

時代の移り変わりを教科書という身近な存在から感じさせられます。

都留市の小学校の社会科見学でもよく利用されるようで、昔はどのような授業だったのか、どんな遊びをしていたのか子供たちが学びに来るそうです。

尾県郷土資料館ができるまで

元々は小学校だった

尾形郷土資料館の昔の写真

元々の小学校は地元の方たちの寄付のみで建てられており、150世帯ほどの世帯でお金を積み立てて出し合ったそうです。

当時のお金で1,200円もの寄付が集まり、現在の価値にするとなんと約1億円。当時は寄付で学校が建てられることは決して珍しいことではなかったものの、それだけ教育に対する熱意があったことが伺えます。

職員さん曰く「裕福ではなかったが、無理してでも学校に行かせたかった」のだとか。

そんな地元の方たちの想いもあって、尾県尋常小学校は明治11年(1878年)に開校されました。その後昭和16年(1941年)3月まで63年間小学校として存続しています。

同年4月に禾生第一小学校に統合され、国民学校となったため尾県尋常小学校は廃校となりました。

有形文化財に登録され資料館に

当時の資料

廃校から約30年後に復元され、資料館として利用されるようになりました。

廃校から復元までの間は、地域の集会所として利用されてきたそうです。芝居や浪花節を呼んで、地域の憩いの場として利用されていたとのこと。

しかし、手入れは行われていなかったため建物はボロボロでした。

昭和45年(1970年)に都留市の有形文化財第一号に登録され、文化財として元の美しい形に戻すため昭和48年(1973年)に復元され現在の状態に回復します。

翌年には郷土資料館として開館し、その後昭和50年(1975年)には山梨県の有形文化財になりました。

尾県郷土資料館へのアクセス

尾県郷土資料館の住所は都留市小形山1565-1です。

最寄り駅は富士急行線「田野倉駅」で、徒歩約20分で到着します。車の場合は隣の稲村神社に駐車スペースがあります。

尾県郷土資料館の情報

  • 開館時間:午前10時~午後4時
  • 休館日:月曜日・水曜日・金曜日(祝日は開館)、 祝日の翌日、 年末年始(12月28日~1月4日)
  • 電話番号:0554-45-8008

尾県郷土資料館はその珍しい特徴的な外観もあり、地元のシンボル的存在として愛されています。

地域の人が草むしりや掃除をしており、そうした手入れやイベントなどで集まることを楽しみにしているそうです。

コロナ禍以前は、山へ来て疲れた人にお茶出して話すのが楽しみだったと語る職員さん。色んな話しが聞けて面白いのだそう。

資料館としてだけではなく、地域のシンボル的存在として愛されている尾県郷土資料館。九鬼山に登られた際はぜひお立ち寄りください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました